私の好きな人 鯉淵崇臣さん PRIME ゆたかな不動産 設計で甲府の街を再構築する人 Part2

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PRIMEとの出会い、山梨へ。

_日本に戻って、そのときに東京の事務所に入ったんですか?

鯉淵さん それもいろいろとあって。僕は日本に帰ってくるつもりはあまりなかったんです。

_そのままオランダでもいいかな、みたいに。

鯉淵さん オランダかイギリスの設計事務所に行こうかと思いながらも、もちろん日本にも設計事務所はいっぱいあるので、海外のプロジェクトを多くかかえているところにしようかなとか。とりあえず、自分の作品集をまとめなくてはならないので、その間は日本でゆっくりしようかなと思って一時帰国しました。それで帰国後、昔からお世話になっている東京の設計事務所に挨拶に行ったんですね。そうしたら、じゃあ就活をしているあいだに、忙しくて手がつけられないプロジェクトがあるからやってみる?ってことになり、引き受けました。当時、2022年FIFAワールドカップの開催地に日本が立候補をしていて、メインスタジアムのコンセプトデザインをつくるというものでした。

_表現してみないか、みたいなことですね。

鯉淵さん それを2、3カ月ずっとやっていたんですよ。それをやっているうちに、でも名刺がないとダメだよねということになって名刺ができあがり、気が付いたら事務所のホームページに名前が載ることになり。(笑)そんな感じで、気付いたらプライムのスタッフに。まあ、これもなにかの縁ですね。それが32歳くらいだったと思います。

_32くらいですね。そうですね、それで割と大きい仕事をする事務所だったんですか。今の話を聞いていると。

鯉淵さん その案件はたまたまです。住宅や集合住宅がメインです。はたから聞いたら、あり得ない発注です。その時の日本の立候補は、負け試合だったんですよ。だから、他の大きな設計事務所に頼んでも、やる気がないのか、いいデザイン画があがってこない。最終的に、サッカー協会と仲がいい、プライムの所長に相談が来たそうです。カタールはメインスタジアムのデザインも、多分2000万円くらいのお金を払ってイギリスのナンバーワン建築家にお願いをしているんですね。では、日本は彼らと戦うために誰が選ばれた?プライム?どこだ?みたいな。(笑)

_それいいですね。でも、それもいい経験だと思いますけど。

鯉淵さん 担当誰だ?(笑)鯉淵?誰だそいつは、みたいな。(笑)

_それいいですね、いい話ですね。それはストーリーがありますね。それでプライムは4人でしたっけ?

鯉淵さん 4人体制でした。2年目から僕が取締役になって、それで4人全員が取締役みたいなかたちになって。パートナーでやってましたね。基本は住宅とか集合住宅が多いですけど、たまにサッカー協会からクラブハウスをつくらないかとか。あとは、いろんなつながりで町づくり系の仕事とかも入ったりして。僕としては結構面白かったんですよね。それこそ有名な事務所に入っちゃうと、本当に下っ端で何年も下積みをしなければいけないんですけど。割とプライムは、すぐに担当レベルで仕事をしなくてはならない。(笑)

_そうか、それで一気に経験が積めたからよかったのかな。それで甲府に戻りたかったというのはあったんですか?私なんかは家業がジュエリーだったので戻らざる得なくて。

鯉淵さん 甲府についてもさっきの話と同じで、戻るつもりはなかった。東京で独立をすれば山梨には1時間半で帰ってこれるから。仕事のない山梨にわざわざ帰ってきて独立してもやっていける自信がないから、全く帰るつもりはなかったんですね。そういうつもりでいたんですけど、プライムで働くと決めた2、3カ月後に震災が起こったんですね。建物の倒壊とか津波で流されてしまったのを見て、やっぱり建築をやっていたので何かできないかなと思いながら1年間悶々としていた時期がありまして。2年目にはいって、所長に相談したら、通常業務に支障がない範囲だったら別に何もしても構わない、というふうに言われたので、福島にもうひとりのスタッフと一緒に震災復興へ行くことに決めました。

_結構休まなかったんですね、その感じだと。

鯉淵さん 休まなかったですね。(笑) 他の設計事務所で働いている人とか、大学生とか大学院生に声を掛けて行きました。仮設住宅にもいくつか視察に行ったんですが、そこでたまたまNPOの方と知り合い、その方の実家の隣に空き家があるから、仮設住宅に住む住民の交流拠点として回収してくれないかとお願いされました。それこそその空き家も限界集落にあるので、地元の人たちとも触れ合えるようにしたいという要望でした。結果いろいろと話を詰めていって、僕らがDIYでそこをコミュニティー・スペースにするということになったんですね。それで4カ月くらい土日はずっと通っていたんです。

_それは結構大変だと思いませんでしたか、結構きますよね。

鯉淵さん 結構みんなへとへとになってましたね。金曜日の夜遅くまで通常の業務をやって、金曜の夜にレンタカーを借りて6、7人乗っけて、福島のいわき市まで行く。夜中に着いて、寝て、土曜日の朝早くに起きて、そこから工事をやって、1泊して、また日曜日にやって、日曜日の夜に東京に帰ってくるという生活を約4ヶ月間しました。で、なぜこの話をしたかというと。

_それがつながるということですね。

鯉淵さん そのときに、すごい地元の人と仲良くなれまして。やっぱり東京からきてくれて一所懸命やってくれているということで。直売所のオバちゃんたちなんかも、お茶を飲みに行くだけでも喜んでくれるんですよね。そんな感じで地元の方々とコミュニケーションを取っていて気付いたんですが、地方というのはちゃんとそこに根をおろしてコミュニケーションを取らないと、こんなふうに受け入れてくれないんだろうなと思ったんですよ。

_ちょっと踏み込まないとダメなんだなという感じなんですね。

鯉淵さん それはきっと山梨でも同じですよね。だったら180度考え方を変えて、山梨に拠点を持って、たまに東京に行く。東京にはプライムがありますがら、そのつながりで都内のプロジェクトに関わる機会はあるはずです。そっちのほうが理にかなっているなと思い、山梨に帰ることを決めました。それについてはプライムの所長も賛同してくれて、帰るのであれば、すぐに帰っていろいろな人とつながりをつくったほうがいいんじゃないかと言ってくれました。

_仕事になるから、ということですね。

鯉淵さん それですぐに帰りました。それが2014年ですね。

山梨を活動拠点としてから

_それで何から始めたんですか?

鯉淵さん 何も始められなかったんです。(笑)ツテもなく仕事もなくて帰ってきたので。帰ってきたけれども、どうしたらいいのかなと思って。とりあえず、まずは人に会わなければダメだと思って、面白そうな人を探して会いに行きました。いちばん最初は富士吉田市の「げんき祭り」というイベントに。まさにこのイベントが僕のつながりの原点ですね。現在仕事を一緒にしている方がそこにはいっぱいいて。

_よかったですよね。急にという感じですよね。

鯉淵さん 急に広がりましたね。他のイベントに顔を出すと、あっ!この前いたあの人だ、とか。それでまた誰かを紹介してもらったり。逆に僕がいろんなところにいるもんだから、最初の1年間はどこにでもいる人、でも何をやっているのか分からない人って思われていたみたいです。おかげで一気に人のつながりができました。

_最初の作品というか。次はなんの話がくるんですか。

鯉淵さん 次にきたのが…同時進行をしているのが多いのでどれが次というのは難しいんですけど、実際にかたちになっているのは五味醤油さんの建物です。

_あれは完全に鯉淵さんの純粋培養みたいなものですね。(笑)

鯉淵さん 完全に純粋培養ですね。いいやりとりをしながらデザインすることができました。

_あれは五味醤油さんから打診があって?あれは、どういうオーダーだったんですか。

鯉淵さん 最初は、今ある工場のリノベーションだったんですよ。味噌づくりの工場の中の一角をリノベーションをして、そこで味噌づくりができるワークショップ・スペースをつくりたいという話だったんです。

_じゃあリノベーションだったんですね。

鯉淵さん そうです。そうしたら、かなり古い建物で、そのうち工場を全部建て替えなければいけないし、ワークショップ事業は20年30年と続けていきたいことだから、一角だけにお金を掛けるのはもったいないので、もう新築を建てちゃおうかと思っているんです、と五味さんから。2回目の打ち合わせのときにはもう、新築にすることになりました。

_リノベーションが白紙になって。(笑)

鯉淵さん ワークショップ・スペースのために新築を建てる人なんてなかなか聞いたことがないですよ。そういう話の中で、与えられた新たな敷地で新築を考えることになりました。

_それでやったということですね。鯉淵さんはどこまでやるんですか。コンセプトとデザインを通すこと?設計図を引くことまでやるんですか。

鯉淵さん そうです。建物のデザインに関しては全部僕にまかせてくれました。五味さんからは、どういうことをやって、こういうものが必要で、こういうペースでやってとかというようなソフト面の要望を聞きながら進めていっています。

_勉強になります。入ったことはないんですけど、自由度はだいぶ残しているという感じですよね。合ってます?今後のことを考えているというか。

鯉淵さん あの空間はいろいろなことに使えますね。オフィスにも使えちゃうし。シャワーさえあればたぶん住めますよね、あそこに。あとは第2期工事としてウッドデッキを4月に作りました。結構いろいろな方が関わっているので、面白いプロジェクトでしたね。

_これからのことですが、作品をつくって終わりじゃないところもあるじゃないですか。だから、これから真価を発揮するというか、育てていくというか。コンセプトは?

鯉淵さん コンセプトは、まさに建物のかたちに現れています。みんなからは富士山をモチーフにしているって思われてたり、最初に骨組みを組んでいるときには神社みたいという人もいたんですよね。でも、実は全然違って、五味さんの屋号がモチーフなんです。“山”のかたちにひらがなで“ご”と書いてあるロゴマークがあるんです。五味さんって本当にいろいろな人とのつながりがあって、みんなが集まってくる。ひとつ屋根の下に五味さんを取り巻いて、なんだか面白いことをやっているぞ、というのが五味醤油の雰囲気なんですよね。それって、もう、このロゴマークのかたちそのままだなと思い、シンプルに建物のかたちとして表現することにしました。

_勉強になります。面白いですね。

鯉淵さん 城東通りは車通りが多く、渋滞がしやすいので、絶対にみんなの目につくんですね。それで、やっぱり何の建物だろうって思うらしく、工事中も、オジちゃんからオバちゃんから若い人まで、何ができるんですか?これは、と言って聞いてきてくれるんですよ。いちばん嬉しかったのは、なんか変な建物があるぞと興味を持って調べて、五味醤油さんのことを知ったようで、お味噌を買いに来てくれた人が何人かいるらしいんですよ。

_それはいいですよね、設計者冥利に尽きますね。材料とかの拘りとかはありましたか?

鯉淵さん 「木」の空間というのはありましたね。

_温かみのあるような感じですよね。

鯉淵さん そうですね。工場も木造だし、味噌樽も木だし。木の空間に包まれていながら天井だけが目立つようにしたんです。

_コントラストが綺麗ですよね。木と白が綺麗ですよね。

鯉淵さん 外見(そとみ)はやっぱりアイコン的に、力強いかたちにしたかったので、屋根と壁を白に統一しているんですよね。普通は金属の屋根をかけたりして、素材が分かれるものなんですけど、ひとつのボリュームとして存在感を出したかったので、すべて白です。

_いいですね。統一感が出ていますよね。何か入りたくなりますもの、ノスタルジーを感じさせるところがありますし。秘密基地みたいでいいんだな、きっと。

鯉淵さん わかります。老舗の味噌屋にしては奇抜すぎかな?って不安もあったんですが、富士山に見えるとか、神社に見えるとか、どこかしら日本的な神聖な雰囲気をもってるんですよね。いいバランスでデザインできたんじゃないかなと思っています。日中、五味さんの子供が建物で遊んでたりするのを見ると、ちょっとうらやましいです。自分の家にこんな場所があるのは。

「ゆたかな不動産」を始める。

_FaceBookなどを見ていて、たまに友だちの友だちなどから流れてくるもので見たのですが、鯉淵さんは空き家みたいなこともやっているようですね。

鯉淵さん 空き家に関するシンポジウムは、山梨に帰ってきた年からやっています。2015年末から、県内の不動産屋、工務店、企画デザイン会社の方と一緒に、空き家の相談から設計施工まで、すべてをサポートする「ゆたかな不動産」という事業をスタートさせました。

_それが現在の主な活動ということですね。

鯉淵さん そうですね、ようやく1コできあがるので。

_そういうのはどこまでやるんですか、案件にもよると思うんですが、そういう場合って、物理的にどこまで手を入れるのかなって。

鯉淵さん 正直、山梨は東京みたいなリノベーションができないんですよ。家賃が東京の2分の1以下で工事費はそんなに変わらない。宮原プロジェクトの具体的な話をすると、そこは元々、居酒屋だったんです。

_じゃあ結構大変ですよね。どうやって使うのかって。

鯉淵さん そうなんです。3階建てのマンションの一角がテナントになっていて、いままではずっと居酒屋さんがはいっていましたが、事情があり、昨年そこから出ることになりました。新規テナントを募集していたんですが、甲府の郊外で駐車場が3台分しかなく、入居付けは相当厳しい状況でした。しかも、2,3階の住人たちから、臭いや汚れの苦情も多かったそうです。そんな状況だったので、テナント貸しではなくて住居にしたらどうかということを提案しました。住居で駐車場3台付だったらそれは物件の強みです。内装はほぼスケルトン状態になっていたので、入居者に間取りを選んでもらい、契約後に工事を始めることも提案しました。これなら、入居者さんにとっても自分好みの部屋に住めるというメリットがありますし、入居者が決まってから改修費を投資するということでオーナーさんにもメリットがある。おそらく山梨で、飲食店を住居にするという事例は初めてかもしれないです。

_そうですよね。それは見てみたいな。でもあれですよね、将来性には。山梨は空き家率がすごい高いと言いますけど。みんな手を打てなくて困っちゃっているということですよね。だから手を打てる人が出てくれば、融資も付きやすいかもしれないし。それで不動産だったら特に付きやすいから。

鯉淵さん そうですね。だから実際に事例ができ始めれば、ということだと思うんですよ。家賃もそれにつられて上がってくると僕は思うんですよ。今は甲府というか山梨には、そんなにカッコいい物件ってないよね、それだったら家賃は安いほうがいいよね、というのがみなさんの考え方だと思うんですよ。でも、ちゃんとカッコいいもので自分の暮らし方ができるものがあれば、今の家賃にプラス1万円とか2万円を出してもいいという人は絶対にいるはずだと思うんですよ。東京だと一般的に家賃は給料の3分の1くらいが相場と言われています。だったら、山梨で20万円稼いでいる人が、家賃に6万7万出してもおかしくないですよね。今回のテナントを住居にするのは、初の試みなので、実はすごく怖かったんですよ。入居者決まるかなと思って。募集をかけて3週間で決まりました。もっとかかるかなと思ったんですけど。メンバー個々のFaceBookページと「ゆたかな不動産」のFaceBookのページ、あとはメンバーである不動産屋さんのHPや一般不動産サイトに出しました。掲載方法も、ただ図面を掲載するだけではなく、完成イメージパースもセットで載せています。募集開始後すぐに数名の見学希望があって、結果、転勤で甲府に移住してくるカップルに決まりました。

_それはよかったですね。現在進行形の仕事としてはコーポ丸の内があると聞きましたが。

鯉淵さん コーポ丸の内のほうは8月に入居者募集を考えています。今は一室だけリノベーションしてモデルルームにしています。こちらもプリフィクス賃貸という入居者が設計に参加できる形式にしています。

_具体的にはどのように参加できるのですか?

鯉淵さん 壁、天井、床、キッチンを選べるようになっています。入居者が決まってからデザイン、工事を開始するという形です。なので、オーナーさんとしては入居者が決まってから初期投資(工事費)を出すので、リスクが少ないというのもメリットです。これは不動産屋だけでもできないし、僕だけでもできない、工務店だけでもできない。だからゆたかな不動産というワンストップでしくみ提案から施工、入居付けができる母体が厳しい地方では必要だなと思い立ち上げたプロジェクトが「ゆたかな不動産」です。

鯉淵さんの建築観

_鯉淵さんの得意な設計スタイルというのはあるんですか?こういうスタンスというかスタイルというか。

鯉淵さん あると思います。いままで建てたものは割とシュッとしているのが多いですKANENTEも曲線を使っているけど、シャキッとした雰囲気がありますね。僕の場合基本は削ぎ落とすデザインかな。

_マイナスの引き算?

鯉淵さん 引き算ですね。何かしらのコンセプトやストーリーを建てたとき、それに対してシンプルにかたちが対応していないと気持ち悪くなっちゃうですよね。だから足し算は嫌いなんですよ。すごくシンプルにして、それが際立つようにしたいというのが僕のスタイルです。

_オランダだとそういう感じなんですか。割とミニマムというか、割と引き算で考えているのかな。さっき言ったように、なるべく多くの機能を持たせるんだけれども、その機能を持たせる表現する部分というのは最小単位でなくてはいけないみたいな。そういう感じになっているんですね。オランダに行ったことがないので分からないですけど。

鯉淵さん オランダ的なものと日本的なものがミックスされた感じかも。ストーリーはどんどん広げながら、かたちはどんどんシンプルにしていく方向で。それを両立するのが、多分僕のスタイルだと思います。それはきっと矛盾しないと思っているので。シンプルな建物って、かたちとしてはすごく物真似しやすいんですよね。表層的なものとして。これは物真似だな、というのは一発で分かるんです。ストーリーが生まれないシンプルさにはしたくはないと
いうのはありますね。

_そこのバランスですよね。だから一緒ですね。哲学とかストーリーが後ろになくっちゃいけないということですよね。裏打ちがあるゆえのシンプルだったらいいけれども、裏打ちがないと、ただのシンプルになって、多分ないものになっちゃうということですよね。よく分かります。だから今のメインの仕事は、その空き家に取り掛かっているという感じですか。それが今のメインの仕事?今も同時進行なんですか。

鯉淵さん 今は、空き家、まちづくり系、新築、なんでもやってますね。空き家系ということで始めた「ゆたかな不動産」なんですけど、僕の中では“新築はダメ、空き家をもっと活用しよう”という意見ではないんですね。新築でも新築の建て方というのがある。今ある空き家だって何十年も前は新築だったわけで、空き家をデザインするときも、新築をデザインするときも、根底にあるものは多分変わらないと思います。建物単体だけじゃなく、敷地周辺や地域だったり、まちのスケールで考えたり、できれば時間軸も含めて。過去未来も見据えて新築も空き家も考えたいと思っています。

鯉淵さんが今まで関わってきた建築話を聞くと、必ずそこにはその建物が建っていた歴史や文化などを踏まえて建てているということがひしひしと伝わってきます。昔、鴨長明は「方丈記」で今建てている家もいつかは朽ち果ててしまう、世の中は無常であると書きました。しかし、鯉淵さんのリノベーションの話を聞いていると、そういった日本人特有の無常観からさらに向こうへ行こう、乗り越えようとしているんだなと感心させられます。しかも、過去も現在の意識も踏まえての建築です。これは並大抵の意識ではできないことでしょう。これから鯉淵さんが山梨でどのような建築を行っていくのか、それによって山梨はどうなっていくのか…とても楽しみです。

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