私の好きな人 鯉淵崇臣さん PRIME ゆたかな不動産 設計で甲府の街を再構築する人 Part1

鯉淵崇臣

久しぶりの【私の好きな人】です。
今回は、甲府市の街を洒落たテイストにリノベーションする、建築家の鯉淵崇臣さんです。

【味噌・みそ】で有名な五味醤油さんのKANENTEという建物で、写真の撮影をしました。
手前みそづくりや食をキーワードに、たのしくつくって育てて交流できる空間、とのことです。
城東通りの新しいアイコンとなる建物と感じました。

五味醤油

この建物の設計を鯉淵さんが担当しています。
鯉淵さんはこの他に古くなった建物をリノベーションして、新たな命を吹き込むようなお仕事をしています。

それぞれの分野で頑張っている人と話すと、良い刺激を受けます。

だいぶ、長いインタビューですが、よかったらご覧ください。

※文章の編集は稜子さん、写真の撮影は奥山和洋さんが担当しています。

IZURU 石川祐吉

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鯉淵崇臣さん(こいぶち たかおみ)

略歴
1979年生まれの37歳。私立駿台甲府高校に進学し、卒業後、東京理科大学理工学部建築学科へ進学。その後は海外イギリスで語学勉強として留学。そしてBerlage Instituteというオランダの大学院に進み、日本に帰ってきてからは設計事務所PRIMEのパートナーとして働き、現在はPRIME KOFUとして山梨のあちこちをリノベーションしたり、新築を建ててたりと精力的に活動されています。

鯉淵さんとは前回取材致しました花さんの紹介でCAFE Moalaにて3年ほど前に出会いました。そのときから建築の話や文学の話などたくさんの話をしました。今回のインタビューで石川さんに私の周りで面白いことをやっている人はいる?と聞かれたときに思い出したのが鯉淵さんでした。
今回はそんな鯉淵さんがどういった経緯で建築家となったのか、どのような建築スタイルなのか、現在行っている活動についてお聞きしました。
今回のインタビューで鯉淵さんと石川さんのお話がどのようになるのか、私自身とてもワクワクしていました。

建築家を志すまで

_いつ頃から建築の世界を志したんですか。

鯉淵さん 僕は多分早い方で、中学くらいですね。

_何かのきっかけがあったんですか。

鯉淵さん きっかけは中学2年のときですね。自宅を改築するということで初めて僕の部屋ができることになったんです。だけど、そのとき僕は一切口を出せなかったんですね。妹と僕の部屋が勝手にできあがったんですが、互いの部屋はふすまで仕切られるような形でした。これはプライバシーもなにもあったもんじゃないという感じで。それ以来、折り込みチラシに入っているハウスメーカーとかの図面を見ながら、妄想をするのが大好きだったんですね。それを結構毎週見るのが楽しみで、そんなことをしながら段々と建築に興味が湧いてきました。駿台は進学校だったので、大学に行くことが前提なんですよね。それで中学卒業前から、ある程度、将来は何をしようかな、何学部に行こうかなということをリアルに考えていました。結果、建築しかないな、という感じですね。

_その頃には固まっていたということですね。勉強になります。では高校1、2年生くらいのときには、そういう世界に行きたいということはもう固まっていたのかな。それで、東京理科大学の建築学部建築学科へ?

鯉淵さん 理工学部建築学科です。4年間大学生活を普通に送って、それから大学院に行って。

_大学院に行ってということですね。そのときは学術的に建築を勉強してというふうなことですか。建築学科とかは、どういう感じなんですか?

鯉淵さん そうですね、学術的にといえば学術的で、いわゆる建築学というものですね。それこそ、意匠系、環境系、構造系、設備系などいろんな分野があります。僕は意匠系に進んだという感じですね。入った当時は、建築の分野での仕事って「建築家」しか知らないから、最初はみんな建築家になりたいって言うんですよね。それで段々と、俺はセンスがないなあ、とかわかってくる。なんとなくそれぞれ進む分野が分かれていくような感じですね。それでデザインができる子だけが意匠系に残って、計算や物理が好きな人は構造に進んだりとか。空気とか熱とか環境に興味ある人は、環境系へ行ったりとか。

_なるほど、鯉淵さんはデザインのほうに進んだということですね。鯉淵さんの建築に影響を与えた人って誰になるんですか?

鯉淵さん 僕たちの時代、今の学生にとっても多分アイドルだと思うんですけどSANAA(サナア)という建築家チーム。彼らは僕らの時代にはいちばん影響を与えた人ですね。今も影響を与え続けている人たちです。

_どんな感じの建築をされている方なのですか。

鯉淵さん 代表作としては日本だと金沢にある21世紀美術館とか。あと、東京でいうと表参道のディオールとか。日本人で影響を受けた方はSANAAですね。あとは、段々と建築を勉強してくると、やっぱり海外の建築家のことも詳しく知るようになりました。それでもう1人僕らの時代で揺るぎない建築家が、レム・コールハースというオランダの建築家です。彼ももちろんすごいんですけど、彼のオフィスで修行をして、独立した建築家たちもいまして。弟子たちもすごいんです。たぶんSANAA自体も、レム・コールハースにいろいろ影響を受けたりしていてると思います。一緒にプロジェクトをしたりもしてますし。

_みんなに影響を与えたというか。そういう人がいるんですね。今オランダとおっしゃいましたけどオランダは進んでいるんですか。

鯉淵さん そうですね。まさに僕らの時代のオランダ建築は、急にインパクトを与え始めたんですよね。

_最先端の感じだったんですね。オランダの建築には何か特徴があったりするんですか?

鯉淵さん 当時のオランダ建築の特徴は、見た目にインパクトがありましたね。だけども、そのデザインはリサーチだったりデータだったりから導きだされていて、ダイレクトにかたちを立ち上げるようなことをやっていたんですね。建築は、歴史性とか土着性からデザインのヒントを得たり、逆にそのしばりから解放されてデザインを考えたりと、いろんな主義があります。そんな中で、当時のオランダ建築は多様化してきた社会、文化、経済、政治みたいなものをリサーチしてデータ化して、そこからかたちを導き出そうとする。そこから出てくるかたちは奇抜で、かっこよくてしょうがなかったんですよ。

_面白いですね。途中で急にスッパリと分断したかのようなものができたんですね。(笑)

鯉淵さん そうですね。建築を説明するときに、それがすごく分かりやすくて歯切れがいいんですよね。SANAAの建築もコンセプトが分かりやすい。コンセプトがそのまま立ち上がったみたいに、軽快で分かりやすい。だからなんて言うんですかね…これ以上話すと、ちょっと建築のディープな話になっちゃいますね(笑)

_いやいや、いいですよ。

鯉淵さん 建築の考え方やコンセプトがわかりやすくかたちに現れているので、その建築自体が建築家の思想を伝えるメディアとして機能しているような印象を受けたんですよ。

_いろいろなデータをそこに集約しているから、その集約しているもの自体が情報を発信するようなものを持ちはじめるということですね。

鯉淵さん それが軽快にすごく分かりやすく現れたりするんですよね。それがカッコよかったんですね。そのあと僕は大学院を1年でやめているんです。その理由としては、日本の建築学というものに捉われてしまったら多分この先はダメかなと思って。きっかけは海外に行ったときに、すでに留学している先輩が通う大学のスタジオを見せてもらったんですけど、やっぱり日本とは全然違う教育なんですよね。それがすごく刺激的で、一度そういう目線で建築を考えてみたいかなという気持ちになってやめちゃいました。

_それですぐに荷物を積んでオランダへみたいな感じで。

鯉淵さん とはいえ両親に大学院をやめます、海外に行きたいのでお金を出してくださいとは言えないので。自分で稼ぐから、とりあえずやめることにしましたと言いました。それでお金を2年か3年くらいで貯めて。

_立派ですよね。そこから貯金に入ったということですね。何をやっていたんですか。

鯉淵さん 正直に言って普通に建築設計の仕事をやると、貯金はできないんですよ。

_丁稚じゃないですけど、徒弟制度みたいな感じになっちゃっているんですね。カメラマンの見習いみたいな感じなんですね。

鯉淵さん そんな感じです。なので派遣でゼネコンに行ったんです。もう雲泥の差ですよ。時給が最低1500円。残業をすればするほど時給が上がる。ただ、僕が本来やりたい仕事ではないので、土日は自分の好きなことを勉強したり、個人的に内装の仕事をもらったりしながら2、3年間を過ごしました。

_でも、すごいいい話だと思います。そのときに結構詰め込んだんですね。

鯉淵さん 詰め込んだんですね。(笑)

_そういう話、いいと思いますよ。段々、詰め込むという風潮がなくなってきているので、詰め込んだほうがいいと思いますね。

海外留学へ

_それで3年くらい経って、それで行けるぞということになって。どうされたんですか?

鯉淵さん 最初の1年目はイギリスに行ったんですね。最初はイギリスかオランダかで迷いながら、英語の勉強を日本でしていましたが、あるとき、イギリスに住んで語学学校で英語を勉強するのと、東京に住んで英会話教室に行くのとで値段を比べてみたら、同じだったんです。それだったらイギリスに行ったほうがいいだろう、ということになって。それでイギリスのロンドンに行ったんです。最初はロンドンでの語学留学というかたちで、空いている時間をつかって建築スクールのワークショップに参加したりとか、いろいろ建築を見に行ったりとか、そういうことを1年間イギリスでしていました。

_詰め込んだという話ですね。(笑)そういう話は好きなんです。人を熟成させる期間というのはドラマがありますよね。

鯉淵さん 結構熟成させていましたね。いろいろとあって結果的にオランダに行くことになりました。

_そのイギリスに語学留学をしているあいだは、どっちにしようかなという感じだったんですか。

鯉淵さん そんな感じでしたね。やっぱりイギリスにもすごく面白い学校があるし、日本とは全然違うし。それでイギリスとオランダも全然違うわけなんですよね。当時のオランダは先ほど話したみたいな、リサーチやデータなどからかたちを立ち上げるような感じでしたが、イギリスはもうちょっとかたちのデザインを追求する感じでした。産業革命の国だからかな、新しい技術やしくみで建築のかたちの可能性を追求していくような感じ。見た目だけ、表層的というより、すごく表現的な印象を受けると思います。なんでそういうかたちになった?という、何か分からないという感じですね。

_ほとばしる、みたいな感じですね。

鯉淵さん (笑) そうそう。

_面白いですね。

鯉淵さん 形態操作(建物のかたちをデザインすること)がちょっと芸術よりな感じがしました。オランダも形態操作は激しいんだけども、論理的なものがあって。

_裏打ちがあるということですね。

鯉淵さん 当時の僕にはそういう印象でした。

_それでオランダには今度は何年くらいいたんですか。オランダではやっぱりスクールみたいなところだったんですか?

鯉淵さん その学校は少し変わってて、1回社会で働いた人たちが入る大学院みたいなところで。学生の平均年齢が30歳だったんです。それで面白いのは、そこで取り組むプロジェクトって、世界各国の企業だったり市町村からの依頼なんですよ。チューターと僕ら学生がユニットを組んで、リサーチからデザインまでを成果物として提出します。当然、依頼主からはお金をもらいます。リサーチからかたちをつくることまでの一式を行うという、まさにオランダ建築をビジネスというかたちで学ぶことができる学校でした。僕は結構、人生遠回りしてるんですよ。熟しているんです。(笑)

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