日本のジュエリーの奥深さを知れば、ウエディングリングの選択肢が広がる
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欲しいのは、憧れの “ 海外ブランド ” だけ?
憧れのウエディングリングとして、ティファニーやカルティエをあげる人は多い。「憧れ」とされるからには当然その所以があり、海外のブランドの魅力は一言では語れません。映画やドラマの中に出てくるような指輪。これが現実に自分のものになったら……どんなに素晴らしいことでしょう。
しかし、実際に結婚指輪や婚約指輪を探し始めてみると、海外ブランドの指輪が絶対ではないことに気がつきます。
「ブランド名よりもダイヤモンドを重視したい」
「同じ予算で買える指輪の選択肢が変わる」
「そもそもブランドにはあまり興味がない」
様々な価値観はあれど、現実的に追及していけばいくほど、『欲しかったジュエリー』が形作られていきます。
もしかしたら、本当に欲しかったのは、ずっと憧れていたあの海外ブランドではないのかもしれないのかもしれません。
知らなかった、“日本のジュエリー”のこと
先日、IZURUの代表・石川さんより、とある本をおすすめしてもらいました。
『ジュエリーの世界史(著者・山口遼)』。
高価でお金持ちしか関係ないと思われがちな宝石。
しかし、その意外な歴史はあまり知られていない。ティファニーやカルティエはどんな人物? ダイヤモンドの値段はどう決まる? 古代日本人から装身具が消えてしまった謎など、身を飾りたいという欲望とかかわる装飾品の歴史的変遷から、業界人しか知りえない取引の詳細まで、宝石に関する面白い話、満載。
……という内容の本。
「直観だけでなく、もっと突き詰めた指輪選びがしたい! 」そんな人は目を通すのも良さそうです。
まだ途中までしか読んでいないのですが、最初から実に興味深いことが書いてあり。「日本のジュエリー史、奥深い」と、はじまって数ページでため息が出てしまいます。
キモノを着る日本人は“ジュエリー”をつけなかった
世界のあらゆる民族は、必ず特色のあるジュエリー(装飾品)の歴史を持っている。しかし、その中で唯一日本だけが普通の装飾品を使用しなかった。正確には、縄文、弥生、古墳時代を見ると、装身具が用いられていた。しかし、その後に続く明日香、奈良時代から江戸末期にいたるまで、普通の意味での装飾品がまったくと言っていいほど影をひそめたことが奇妙だ……と。これだけですでに、ズキュンと撃ち抜かれた私。
歴史に関する知識が浅い私でも、「たしかに。」と頷いてしまいました。着物を着ている日本人を思い浮かべ、振り返ると“ジュエリー”を見かけません。
これには様々な説があり、「キモノと呼ぶ衣装そのものが美しすぎて装飾品が不要だった」「キモノの構造と日本人の髪型が装飾品と相性が悪かった」「日本人の美意識として、見せびらかしのような美を嫌った」……など。諸々言われています。
はぁ、なんと。
今までまったく気がつかなかった。
着物を着る日本人を頭に浮かべると、そこにジュエリーがない。この本を読むまで、このことに気づいていなかった。
日本の“ジュエリー”の誕生
明治の御一新を迎え、廃刀令とともに、刀装関連品の職人たちが転職を強いられました。この職人たちが、初期の宝飾品生産者です。長きにわたって磨かれた職人たちの技術は、形を変えて現代に残ることになりました。
明治以来、宝飾品の分野においては欧米から学ぶのみだった日本も、二十世紀末から欧米諸国をしのぎかねない勢いで逆輸出をはじめています。世界的に見て、実に奇妙である日本の装飾品の歴史。それでも世界を渡り歩けるだけの“ジュエリー”を作り出す。……これに、日本の職人たちのレベルの高さを思い知ったのでした。
こうして考えてみると、海外ブランドだけを選択肢にするのは、いささか単純なのかもしれません。
「日本のジュエリー、見てみようかな? 」
海外ブランドのみが選択肢だった人も、一度日本のジュエリーに触れてみるのもいいかもしれない。そこには、想いもよらなかった出会いが待っている……かもしれない!?
(文・mamiko)